華ヤカ哉、我ガ一族







冬枯れの季節、やせた庭園にいったいいくつのためいきをこぼしただろうか。
あの方とともにあることは、とてもしあわせなことだった。
出逢ったころから傲慢で、横暴で、でもそれに見あう身分も権力も持っていたあの人を、おそれたこともあったのに。
いまではどんな日にもかならずそばにある存在になって、それがしあわせだと思えるようになったこの距離に、ひたりとよりそう孤独があった。
その孤独は自分をひどくさいなみ、あの方へとむかうこの気持ちにたしかな矛盾を問いかける。

せつない、ではない。
そんな言葉では表現できなかった。
ただよりそうだけの事が、これほどむずかしいとは知らなかった。
知らずにいられたらよかったのかもしれない。
そう思うこころの弱さを、あなたは笑ってくれるでしょうか。





*





さざめく木々につぼみがついた4月の日。
この屋敷へやってきたみすぼらしい田舎むすめが、期待と不安をいだいてあの門をくぐった日から、もう一年が経った。
時はゆるやかに流れたようでいて、ほんとうはそうではない。
この家にむかえられてから、日々は駆けてゆくもので、けれどもその中に彩られた生活を知ることとなった。
この宮ノ杜の屋敷は、はるに、仕事とは厳しくつらいものだと教えてくれた。
けれどこの家に暮らす宮ノ杜のひとびとには、その厳しさにもつらさにもみあう、喜びと充実をあたえてもらった。

一年前のわが身を考えれば、なんと幼かったろうと思う。
はるはあまりに幼くて、甘えた子供であったから、たったひとりでは生きてはいけなかった。
くずおれるその度にささえてくれたのは、親と、ともだちと、そして ―――



「はる。」

まだ冷たい風になびいて切りそろえられた髪は、この人の清廉さを引き立てるもの。
兄弟の誰よりも、一番はるにつらくあったった人だった。

「……、まあまあ、似合ってるね。」
「そうでしょうか。なんだか服に着られているような気がしないでもないです。」

服の裾をつまんでひっぱったはるに、雅はこの場に似合わぬ不快をあらわした顔つきでことりと首をかたむけた。

「僕は、似合ってるって言ったの。ちゃんと聞いてたわけ?」
「は、はい…聞いてました。」
「耳の中通り抜けただけで、聞いた気になるなんて、やっぱりおまえは、」
「ちゃんと!聞いていました!」

いまだに雅の言動にはひやひやすることが多い。
そこに怒りがくわわると、みさかいのない男だと知っているからだけれど、なにもこんな日にまで嫌みを言うことはないのにと思う。
はるがすこし不満げな顔になってしまうのを見て取って、雅は深いため息をこぼした。

「はる。やっぱりおまえは馬鹿だね。」
「な、」
「僕はね、それなら二代目当主の妻になるおんなに見えるって言ったの。」

風でなびく髪を少しつまんで視線をそらしたそのしぐさ。
雅が照れを隠すためのそれをみせてくれるようになったのは、本当につい最近の事だ。
あの運命の別れの日、あの方の元へ走ってくれたことにお礼を述べたときと同じ、言葉とはうらはらにすこしうつむいた頬に赤がのって。

「…そう、思ってくださるのですか…?」
「そうだって言ったでしょ。頭はもともとだめだろうけど、耳までだめになったの?」
「雅さま!」
「ちょっ…!お前が抱きつくのは僕じゃないだろ!?」

感極まって駆け寄ったはるにぎょっとしたように後ずさった雅が、乱れた正装の裾を引っ張って、未遂に終わったことに安堵のため息を吐く。

「今日から僕の義姉になるんだから、その落ち着きない性格どうにかしてよね。」
「も、申し訳ありません…。」
「だいたいおまえは自覚ってものが…いたっ!」

せつせつと当主の妻になる心構えを語ってやろうと思っていた雅の肩に、横からの圧力がかかってよろける。
その原因を作った当人は、ずいっと割り込むようにはるの前に立つ。

「雅!はる吉をいじめるな、って言ったろ。」
「いじめてない。」
「いじめてたじゃん!」
「いじめてない!」
「あああの、博さま!あまりおおきな声は…、あの、こういう場ですし…」
「あ、そっか。ごめーん。」

周囲の注目を浴びたことに雅は嫌悪をこめた視線でにらみ、博はそれを笑い飛ばす。
それをなだめすかすのもはるの仕事の一つだったりして、このふたりには随分手を焼かされたものだ。
けれど、それにも限りがあるのだと知った日には、わけもなくさびしい気持ちになる。

「はる吉、今日は特別な日だね。」
「はい。」
「俺にとってもさ…、特別な日だよ。一生に一度の、特別な日。」
「え?」

思いがけない言葉に上向けば、くったくなく笑ったその笑顔にときおり陰る孤独を見たのはいつだったろうか。

「俺ずっと、はるとともだちになりたかったんだって、話したよね。」
「はい。」
「でも、さ………、なれなかったね。」

言いよどむようにして顔をうつむけた博が、むずかしかったね、と重ねた言葉にはるはただ黙ってうなずいた。
ぽり、と頬をかいて、照れたように、でもまっすぐ向けられる、ただ人としてのつながりをあらわしたそれ。
この厳しい場所で、そのまっすぐな瞳にいったいどれほど救われただろう。

「だから、今日は特別な日なんだ。」
「博さま?」
「俺とはるは、ともだちにはなれなかったけど、今日から家族になるんだよ?」
「……はい。」
「こんなうれしいことってないよ。だって家族だよ?俺が洋行して五年たって帰ってきても、また会えるってことだよ。」
「ひろし、さま…」
「ともだちになりたかったけど、…でもいいんだ。はるが、しあわせなら、それでいい。俺もしあわせだよ。これで安心して洋行できる。」

へへ、と微笑んだその顔はもう、一年前のわがままなだけの博ではなく。
その過程で与えられた試練も、かなしみも、すべてを受けとめてすすんでゆくのだと、そんなひとともう長く会えなくなるのだと思えば思うほど、さみしくてかなしくてしかたがない。

「は、はる?泣いちゃだめだよ!? 俺が怒られるだろ…!ほ、ほら、ちょっ、頑張って耐えて…!ま、まさし!!どうにかして!」
「お前ってほんと馬鹿。ちょっと、はる。ここ泣くところじゃないから。馬鹿にするところだから。」
「違うし! はる、ほ、ほら!これあげるから泣かないで!」
「こ、これ…?」
「博ッ!! ………普通そういう渡し方する? 信じられない。最低。」
「え!だって…しょうがないだろ! 俺、洋行する前に勇に殺されたくないよ…。」

その雅の指摘ももっともだと思ったのか、博はしゅんと肩を落として小さくなる。
焦ったように手に押し付けられたものを凝視して、その驚きではるのなみだは引っ込んだけれど、渡した当の博は雅の軽蔑のまなざしにさらされた。
そのやりとりを交互に見つめて、はるは首をかしげる。

「おはな…?」
「ブーケ。」
「ふたりで作ったんだ!ほら、このちょっと不格好なところが雅の…」
「馬鹿博!」

ばらされれた羞恥で蹴り飛ばそうとする雅からひらりと身をかわして、博はいつもの得意げな顔をのぞかせる。

「服の色に合わせたんだ!」
「……まあ、それ持ってれば完璧だよ。」
「うんうん、すごくきれい!」
「博さま、雅さま、ありがとうございます…!」
「うん、特別な日だから、最高にいい日になるように、ね。」
「それはいいけど、とっくに時間みたいだよ? そろそろあそこで睨んでる男をどうにかしたほうがいいと僕は思うね。」
「え、」
「え、」

すこし離れた木陰から、白い正装に身を包んだはるの旦那になるおとこが、じっとりと殺気すら込めて三人を見つめている。
その視線の冷たさに博はさっと空を見上げて目が合わなかったことにして、はるはぴっと背筋を伸ばした。
その伸びきった背に雅の手がのって、トン、と押し出される。

「ま、すすんで奴隷になりにいくんだから、覚悟を決めるんだね。」
「はる吉!お幸せに!」
「いってらっしゃい。」
「頑張ってね!」

ふたりして押し出されても、はるは振り返らなかった。
ただじっと、はるを見つめてくるひとみがつめたさをひそめて、あたたかないろに変わるそれを見ていた。
そうすれば、あとはもう。





*





ほんとうは。

兄弟の皆が口をそろえて玄一郎をなじったけれど。
ほんとうは、誰よりもわかっていたのはあの方なのだとはるは思う。
みすぼらしい田舎娘。
そんな小娘がこの宮ノ杜の家に入るということ。
それがどういうことなのかを。

あの頃のはるだって勇だって、生半可な、遊びの気持ちで手を取り合っていたわけじゃなかった。
けれど、玄一郎からしてみれば、それはただ子供が恋という熱に浮かされたまま寄り添っていたようにしか見えなかっただろう。
それでは乗り越えられぬ壁がここにはある。
小山にすぎぬ試練や策略に立ち向かえぬ程度であったのなら、あの日終わった方が幸せだっただろう。
それを、誰よりも理解していたのかもしれない。

けれど。
それを乗り越えた、いま。



「じゃ、撮りますよー!」

「まさか、あの大佐が使用人を妻にするとはな。」
「まーいーじゃないの。おはるちゃんなら大歓迎だよ?」
「この家に女性が増えるとは、想像していませんでしたけどね。」
「おれ、博さんって呼んでもらうんだ!」
「……馬鹿みたい。」

雲の上の方たちだと思っていた。
よもや隣に並ぶ日など来ず、ずっと、永遠に、あこがれの存在であり続けるのだと。
けれど彼らは手をのばしてくれた。こんな甘ったれた小娘に。
そのなんと幸福なことか。

新たな一歩であるものに、にじむ涙をのこすことはできないから、はるはぎゅっとくちびるを引き結んで、
こころに宿ったしあわせを思って、できうるかぎりの笑みを浮かべた。
そのすべてをわかって隣に立つこのひとに、誰よりふさわしくなれるように。

「はる。」

ことばはもう、いらない。
この肩に、熱い腕がまわされる、それだけでいい。
その力強さに不安は掻き消えた。
ここで生きてゆくその決意が、映る。

これはまだ駆けだした歴史の、一枚目。
語り継がれる宮ノ杜の、あたらしい幕開け。
それにふさわしく、背をのばして、胸を張りましょう。



同じ途を見つめて。
宮ノ杜にあたらしい家族がひとり。










≪華ヤカ哉、我ガ一族≫


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