雨はぼくらを少し素直にする







彼は孤独を愛しているわけではなかった。
ただそれを許容し、当然としてそこにあるべきものと認識しているだけだ。
ひとりで立たねばならなかったその肩に、さしのべられる優しく暖かい手がもし存在し、彼がそれを許し、受け入れ、頼ったのならば、とうの昔に彼はバルハラに渡っていたことだろう。
ヤスナという国で子供が一人生きるには、寄りそう孤独が必要だった。
ひとを疑い信じぬこころが必要だった。
そして、自分を守るちからが。





*




ぴんと伸ばされた背筋は、どこか彼のひとをアキの脳裏に呼び込んだ。
涼やかでありながら、どこか深い色をみせる瞳が、より彼に近付けている。
足止めを食らったつめたい雨の中、沈黙が強くなるこの雰囲気も似ている気がして、アキはすこし口元に笑みを据えた。
彼にはそんなささいな風の乱れも聞こえるようで、暗雲を見上げていた紫の瞳が振り返った。

「なにがおかしい?」
「ううん。なんでもないです。」

すっと細められた目が機嫌の悪さを表していて、とっさにごまかしてみたはいいけれど。
大木の下にいてもぽたぽたと漏れ入ってくる雨が頬にあたり、彼の不快指数は右肩上がりで下がる気配がない。
さきほどから綺麗な頬を滑り落ちる横顔をうかがうように眺めては、手のひらに隠し持ったハンカチを差し出すべきか否かを考えている。
これがタカミであったのならば、笑いながら拭ってやれただろう。
けれど相手がアクトになると、うまく行動に移せないことが多いのは、どうしてなのだろうか。

アクトが持つ固い雰囲気がそうさせるのかもしれない。
そもそも雲行きが怪しいとわかっていながら採取に付き合わせてしまった原因は自分であるのだから。
と、そこまで考えてハンカチを差し出さない何がしかの理由を必死に探している自分に、アキは首をかしげた。

「しばらく、やみそうにないな…。」
「ご、ごめんなさい…。」

舌打ちでも聞こえてきそうな疲れた口調が湿った空気に妙に響いて、アキはきゅっと萎縮した。
その様子に大仰な溜息が聞こえて、とん、と肩を押される。

「ここじゃ濡れる。もっと奥に入ってろ。」

そう言われては下がらないわけにもいかず、すごすごと木の幹に背を預け、アキは膝を抱えて座り込んだ。
両手で握りしめたハンカチをくしゃくしゃとこすり合わせながら、アクトの様子をうかがう。
アクトはアキに背を向けたまま、固く腕を組んで遠くを見つめる様はまさに不機嫌だ。
アキが勝手に思っているだけだけれど、アクトの背中は思いっきり拒絶をはらんでいる気がするし、それがあながち外れていないような予感がしている。
今日は雨が降るから遠出はするなといったのは彼で、その忠告を聞かなかったのは自分なわけだから。
きっと、たぶん、だけれど怒っているのだ。

しかしアクトが言うようにこの雨は一向にやむ気配もなく、びしゃびしゃと音を立てながら今もなおアクトの神経を逆なでしているに違いないし、 この二人っきりのある意味閉ざされた空間で沈黙に押しつぶされそうになっているのは、アキにとっては少々打開したい状況だった。
どうにかこうにか話しかけるきっかけを捜して、きょろきょろとあたりを見わたしてみても良い材料が転がっているわけではなく、抱え込んだ採取済みの石っころがふたりの沈黙を打ち破る術になりえるとは思えない。

八方塞がりかと溜息をつきたいのを我慢していると、ぽたぽたとアクトの髪から雫が落ちているのが見えて、あ、とつい、本当についうっかり声を出してしまった。

「あ、あのぅ…」
「なんだ。」
「…アクトさんも、こっちに来て座りませんか?まだ止まない、みたいだし…。」
「俺は別にいい。」
「ぬ、濡れちゃいますから!風邪ひいたら、」
「ひかない。」
「ひくかもしれないです!寒いし、あ、ふたりでいた方があったかいですよ、たぶん!」
「………。」

まくしたてて押しきるようにアキはひとりでうなづいた。
じっとうかがうような瞳に射抜かれて、きっと何か企んでると思ってるんだろうなと、考えながら曖昧な笑みをうかべて、漂う静けさを紛らわせる。
ああ、その沈黙で語るようなところもそっくりだ。

ざくざくと近寄ってきて真上から見下ろされ、もしや罵倒が降ってくるかと身構えたけれど。

「寒いのか?」
「え?あ、」
「そうならそうと早く言え。」

どかりと肩が触れるほど近くにアクトが座って、アキはびくっと肩を揺らした。
アクトはそれに気づかず、ちょっと服の袖を引っ張って考えごとをするように空を見上げる。

「つっても何も持ってねーしな…。」
「あ、いいです、大丈夫。そんな耐えきれないというほどでは。」
「……そうか。」
「は、はい。」

しん、と沈黙が降りて。
気まずい思いをしたのはアキが先だった。

「あ、あの!」
「なんださっきから、騒がしい奴だな…。」
「これ使ってください、濡れてますよ!」

もうゆうに十数分は言うべきか言わざるべきか悩み続けていた言葉をやっと口にできて、アキはアクトの反応がどうであれ、ある程度満足したのだけれど、 アクトの視線がハンカチに固定されていて動かずにいることにしばらくしてから気がついた。 なんだろうかと自分の手元に視線を落とせば、くっしゃくしゃによれたハンカチがそこにある。

「ああ!あの、いえ、これ未使用ですから…!」

アクトの沈黙の意味を悟って、せっせと皺を手で伸ばす努力を試みる。
その間にもアキの顔はかっかと火が出るように熱くなってきて、これではずっとハンカチを握りしめていつ声をかけようか迷っていたのがばればれではないか。
その気恥ずかしさから丁寧に時間をかけて折りたたんでみたものの、皺はいまいち伸ばしきれないままなのが自分の強い動揺が表れているようで、アキは気まずいままアクトにそれをそっと差し出した。
もう言葉も出ない。

「…変な奴…。」

顔も見ないまま差し出したからアクトの表情がどんなものだったのか見て取れなかったけれど、その声色にはあきらかに笑い声が混じっていて、アキはばっと顔を上げた。
するとそっぽをむいた銀髪の後頭部があったのだけれど、耐えきれない肩がかたかたと震えている。

「だって…!……っ…もぅ…いいです…。」

言い訳するのもまた変な気がして、アキは押し黙った。
その間にも雨足はとどまることなく、水分が吸い込まれて許容量を超えた地面に水たまりを作り始めていた。





*




この狭い空間に押し込められた時のような、押しつぶされるような静けさは過ぎ去った。
沈黙は変わらないけれど、あの雨の中でも逃げ出したくなるような居心地の悪さはもうない。
横目でアクトをうかがうと、水たまりに落ちた雨の波紋をじっと飽きることなく見つめていて、けれどその表情には先ほどのような不機嫌さは見あたらなかった。
その穏やかな横顔に後押しされて、アキはちょっと話しかけてみることにした。

「似てますよね、アクトさんって。」
「…似てる…?」

穏やかな横顔が一転、強く怒りをはらんだ瞳に睨まれて、アキはその急激な展開についていけずぱちぱちと瞬きを繰り返した。
その間にもアクトの怒りは上昇したようで、眉間の皺は深く刻まれ、その目から伝わる圧力は増すばかりだ。

こんなに怒りをあらわにされるような話題だったろうか。
困惑したままアキは口ごもるしかなかった。

「え、あ、」
「顔が似てるのは当たり前だ。双子なんだからな。」

そう吐き捨てた言葉と同時についた深いため息にすら抑えきれない殺気が漏れ出ていた。

「ち、ちがいます!」
「何が違うんだ!タカマハラが恋しかろうが、クラトの話を俺にするな!」

静かな森に自身ですら抑えきれない怒号が駆けて、アクトは立ち上がって背を向けた。
その怒りの理不尽さに、アキの怒りも沸き立って、つい同じように怒鳴りかえす。

「ち、ちが…、似てるって言ったのは、サナトさんです!勘違いして勝手怒鳴らないでよ!」
「………サナト?」

それでも疑うような目で見られては、さすがのアキも怒るというもので。
ほんのすこしだけ近づけたような気がしたのに。
何だかわけもなく悲しくなって、アキはぎゅっと目をつむり、膝に額を押し付けた。

じっと黙りこんだアキの意外なほどすぐそばで気まずい咳払いが聞こえて、アキはちょっと横にずれて距離を離す。
子供のようなその行動に呆れたような溜息が聞こえて、次いで、どん、と肩がぶつかってアキは横にべしゃりと倒れた。

「何するんですか!」
「どこが似てるんだよ、サナトと似てるとこなんてないだろ。」
「あります。」
「どこだよ。」
「め、とか。」
「め?」
「なんかちょっと冷たい感じ。」
「おまえ、喧嘩売ってるな?」

つん、とそっぽを向いて、アキはその問いを勝手に水に濁した。

「他には?」
「うーん、雰囲気?」
「…漠然としすぎだろ…。」
「う…。」

視線もあわさないまま言い合いが続いてアキが言葉に詰まると、微かにアクトの笑い声が聞こえた。
はじめて聞いた思っていたよりもやわらかな笑い声に、アキがアクトを見つめるその一瞬前に立ちあがり、アクトは伸びをするように雲間からのぞく光を見上げた。

「雨、あがったぞ!」

その空を見つめる横顔はすこし笑みを含んでいて、すこし彼の顔を幼くみせた。



言いたい言葉は他にもあった。

冷たいけれど、強い意志がひそむ瞳。
孤独をまとい、ひとを寄せ付けない雰囲気。
それと、まっすぐだからこそちょっとさみしそうな背中。

けれどそれを言葉に出すにはまだ、足りない気がしたのだ。
肩が触れるほど近くにいても、きっとまだこころは遠く離れている気がして。
今日ほんの少し近づけたからこそ、これ以上欲張っていはいけないような。
そんな距離を本能的に感じ取ることができた。

けれど。
振り返ったアクトの冷たかったはずの瞳はなんだかとってもあたたかいむらさきいろに思えてきて。
そのなかに映り込んだ自分もちょっと満足げな顔をしていたから。

言えなかった言葉は、また今度。
もっと近づいたその時に、伝えられればそれでいい。
きっとこれからもっと近づける、そんな予感がしていたから。










≪雨はぼくらを少し素直にする≫


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