呆れても良いよ、それでも君が好きだから







握りしめた柄が手から吹き飛びそうになるのを、歯を食いしばり耐えきる。
その指ごと引きちぎられるような振動はアクトの腕をつたい、肩にまでのぼりくる。
身体を揺らそうとするその衝撃を、腹の力で抑え込み、脇を締め、鍛え上げた足の筋力と身軽さをばねに飛び込むが、 下方から切り上げる剣が敵に届くその前に、空気を切り裂くように横から薙ぐ剣先がアクトの髪をひと房切り落とした。
びょう、と風が鳴り、絶対の構えがさあ来いと言うように針を通す隙間もなく待ち受ける。

汗が地面に散った。
吐き出す息の速さが己の限界を知らせる。
成す術が見当たらない。
その心を読み取ったように、サナトは構えを解いた。

「磨きが足りぬ。」
「……分かってる。」

サナトに惨敗を喫するのは、初めてではない。
直属親衛隊の稽古は、殺すつもりで、が原則だ。
カスガにならまだ戦えるのだけれど、サナトにはかすり傷程度しか与えた覚えがない。
サナトの剣は同じ剣で受けてもそのまま腕が千切れる恐れを覚えるほど重いくせに、 とても目では確認できぬほど速く眼前に迫る。
はじき返せばその微かな隙を付け込まれ、凌いで息を整えれば、もう踏み込めぬ構えが完成している。

肺が悲鳴を上げたように音を出し、アクトは大きく息を吸い込んだ。
横隔膜が軋みあげ、痺れた手を誤魔化すように、剣を鞘に納める。
アクトがこれだけ追い詰められても、サナトはいまだ涼しい顔をして風に髪を任せている。

――― 一体いつになったらこの男に勝てるのか。

顎から滴り落ちた汗をぬぐい、アクトは岩場に腰を下ろした。

「踏み込みはよいが重心が揺らいでおる。しばし第一線を退いていたことは理由にならぬぞ。」
「分かってる。…鍛えるさ。」

一見涼やかな目元がアクトを見つめるが、その奥にある厳しさは理解しているつもりだった。
衰えた切っ先では戦いに出て死ぬのはアクトで、被害を被るのはサナト達なのだ。
やはりカスガに頼むか、とアクトは思考をめぐらせた。

「アクト。」
「なんだよ。」
「クマヒの剣はまだ手に入らぬか。」
「は?」

なぜ知っている、とアクトは似合わない日差しを背負ったサナトを見上げた。

「……アキに、会ったのでな。」

カスガも知っておろう。
そう付け加えられた言葉に、そんなことは聞いていないとアクトは思った。
近頃アキは、まさに危機迫るが如く鍛冶場に向かいっぱなし、石を打ちっぱなしで、 昨日は手にできた肉刺が潰れ、手袋を真っ赤にしながら打ち込んでいたところを、アクトが無理やり止めたところだった。
出かけると言えば買い物くらい。家事と寝食以外は、すべて鍛冶に打ち込んでいる。

「目を配るがよいぞ。」
「なに?」
「あれはまるで幽鬼のようであった。」

出会った時の様子を思い出したのか柳眉がひそめられ、気負っておる、とそっと息が吐き出される。
わずかに憂慮の面持ちでサナトは踵を返し、愛馬へと乗り上げた。

「今日はもう帰るがよい。」
「な、」
「クマヒの剣、それ故ぞ。 急ぎ作れと伝えておけ。」

それはただの方便だとアクトにすら分かる物言いで、風に揺らぐ髪をそのままに、サナトは去って行った。





*




自宅の扉の前に立ち、アクトはふかく溜息をついた。
まだ昼の強い日差しが石畳に反射して眩しいほどの時刻、今朝自宅を出てからそう長く時間は経っていないというのに。

アキは、昨日の様子からして普通ではなく、そんなことはもうとっくに分かっている。
サナトは幽鬼のようと例えたがまさにそれだ。
昨日だけではなく、一昨日も一昨々日もその前も…、一生懸命では生ぬるく、無我夢中、一心不乱、まるで取り憑かれたように石を叩き続けた。
アクトが朝早くに城へ出て、空が夕闇に染まるころ帰ってきても鎚を片手に力の限り、食事をとればまた叩く。
夜になり疲れ果てるようにぱったりと動作を止めた身体を、アクトが二階へ引きずって風呂場に押し込み、 出てきたところをとっ捕まえて、無理やりベッドに沈ませるのだけれど、 思考が冴えるのか夜半目をかっぽりとあけて天井を見つめているのを何度も見て、これでは壊れてしまう、と思う日々がもう何日も続いている。

今朝も潰れた手の肉刺に薬を塗りこみ、今日は休むようにときつく言い渡して家を出たのに。
先ほどからアクトの耳に、ガンガンと響き渡る音はなんたることか。
音もたてず扉を開閉し、いっそう大きくなった音と荒い息使いのまま振りかぶる腕と、向けられた背に眉が寄る。
きっと、まだ帰ってこないと思っているに違いない。そして帰ってくる時分までには切り上げるつもりなのだろう。
透けて見える思考に、アクトは溜息しか出なかった。

「何をしてるんだ。」

声をかけたが聞こえている様子はない。
アクトはその背に大股で歩み寄り、丁度振りかぶった手首をつかみ上げた。
鎚を取り上げ、背とひざ裏にまわした腕でか細く悲鳴を上げた小さな体を抱き上げて階段へ向かう。
アキの口が何かを言おうと動いたのが分かったが、火の周りだというのに水分もろくに取らず打ち込んだアキの喉はへばりついてうまく音を鳴らさない。
その間にもアクトは階段を登り切り、アキをベッドに放り投げた。
茫然とした瞳に一瞥をくれて背を向けたアクトを、アキの声が追いかける。

「……アクト…。」
「うるさい。」
「…、あ、あの。」
「黙れ。聞きたくない。」

言い訳など、聞きたくない。
炊事場に向かい水と手拭いと薬を持って戻り、泣きそうな顔で口をつぐんだアキを見下ろす。
うつむいたつむじの下、座り込んだ膝の上で握りしめられた手に力がこもっていて、耐えているのだとわかる。
以前から、アキはアクトが苛立つと屈さぬとばかりに突っかかって反論してくるが、アクトが怒るとアキはいつも叱られた子供のようにうなだれて。
出会ったころからアキの涙に弱いアクトは、サナトとは別の意味で勝てたためしがない。
小さく丸められた背中と睫毛の影がおちる頬に涙が流れるのが嫌で、ついには許してしまうのだ。

だが正直、今回泣きたい気分なのはアクトのほうだ。

ベッドに腰掛けたアキの前に跪き、固く握られた手をそっと開いて、慎重に手袋を脱がしていく。
白い手袋には血がにじみ、既に黒く変色し始めている。
傷口と手袋が縫い合わせたように引っ付いているのを、痛まぬようにと少しずつ分離して取り払い水で清める。
苦痛がにじんだ声が少し聞こえたが、知らぬふりをした。
薬を塗り込めば、嫌がる様に手を引こうとするのを手首を掴んで阻止する。

「我慢しろ。」

手のひらはひどい有様だった。
アクトも剣士であるから肉刺など日常茶飯事であったが、鍛えられて強くなるアクトとアキは違う。
肉刺は潰れ、細い指の節には裂け目ができ、人差し指の爪は割れ、手首をつたって見た腕は赤く染まったやけどの跡が点々と見受けられた。
白くすべやかな手をこうして蝕んでまで、急きたいと思ったことはない。

「今朝言ったこと、覚えてるな。」
「……はい。」
「今日は休め。明日も。」

そう言って、手当てを終え立ち上がろうと膝に力を入れたアクトの指をアキが掴んだ。
きゅう、と握られた指は、休めという言葉に不満があるのか、アクトが立ち去るのが嫌なのか、或いはどちらもなのか。
立ち上がれず膝をついたまま、真意を探る様に顔を上げたアクトは、今日家に帰ってきて初めて向き合ったアキの顔に、ぐっと言葉に詰まった。
耐えるように寄せられた眉がかろうじて頬に流れようとする涙を押しとどめてはいたけれど、眦にこんもりとふくらんだ雫が今にもこぼれ出しそうで。
あと瞬きひとつ。
この顔にアクトはとても弱いのだ。

「……そんな顔するな。」
「わ、わたし、…。」

口を開いたら力が緩んだのか、ついにアキの大きな瞳からはらはらとこぼれ出す。

「泣いたって、許さない…。」

今回ばかりは許さない。
ほだされてなるものか。

と思うのだが、頬を流れて止まらない涙は放っておけず、つい指が伸びる。
目じりまで赤くならないようそっと取り払おうとするのだけれど、次々あふれ出す涙には追い付かなくて、もはや指ではぬぐいきれない。

そうなるとアクトがとれる手段はたったひとつ。
小さくちぢこまった身体を抱き締めてやるしかない。
アキは自分から飛び込んでくることはないくせに、アクトが手を伸ばしてやればぎゅうぎゅうと抱きついてくる。
そうすると、ああまた許してしまったとアクトは突き放せない自分に後悔するのだけれど、 惚れた女が自分にすがりつく様を見るのを満足に思っている事にも同時に気づき、苦笑が漏れた。

「気負い過ぎだ、自分を追い詰めるのはよせ。」
「…でも…。」
「でも?」
「……、でも…、私にできるのは…これくらいしか…。」

嗚咽を耐えて引きつる背を撫ぜ抱き込んでやれば、安堵を含んだ暖かな吐息がアクトの胸元に沁み込んだ。
その熱い感覚を逃したくなくて、隙間なくぴったりと身を寄せる。

「お前を追い込んでまで急きたいとは思わない。分かるよな?」
「……ん…。」
「アキのやり方でやればいい。お前が満足できるものを作ればいい。
けど、今は無理してるようにしか見えない。アキだって自覚あるだろ。」
「うん…。」
「だから、少し休め。」

アクトの肩に押し付けられた頭がこくりと頷くのを認めて、決意が込められたようにきつく結わえられていた髪紐をほどく。
背に流れた髪に刻まれた髪紐の痕をゆっくりと撫でつけて、アキをベッドに横たえた。
買ったばかりの柔らかな掛け布団を顎下までかけて、アクトも寝転がる。
それでもまだ神妙な面持ちでじっとアクトを見つめる瞳、そのまわりに濡れたあとをなぞって散らした。

「今度の休みに、じーさんに会いに行くか。」
「……いいの?」
「カヌチの先輩だろ。」

引き結ばれていたくちびるがほころぶように薄く笑んだから、クマヒの剣の為だなんて取り繕ってみたが、 その見え透いた言い訳にアキの嬉しそうな顔には拍車がかかって、少し笑い声が漏れた。
何だか久しぶりに見たそれを隠してしまうのはもったいない気もしたけれど、どうにも抗えずにアクトはアキのくちびるをふさいだ。
驚くようにまたたいた瞼が、与えられた熱に酔ったように閉じてゆく様を見て、アクトもそっと目を閉じた。
瞳を閉じた暗闇の中浮かんだ想いに触れあったくちびるから苦笑が漏れる。
怪訝そうに傾げられた首に、なんでもないとささやいて。
ひらいてしまった大きな瞳を、隠すように手のひらで覆った。


――― たとえサナトに勝つ日があっても、アキに勝てる日はきっと来ない










≪呆れても良いよ、それでも君が好きだから≫


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