きみが何を変えてくれたのか知っている?







舞いあがる草の。彩られた花の。その薫をなつかしいと思う日が来るなんて。
ソルに輝くこの草木の間を、いつもアキは駆けていた。
城は嫌いだった。アキの大事なものを奪おうとしたから。
だから逃げるために走ったし、奪われたものを取り返すための戦いに駆けた。

辛い思い出。
けれど、いつも決意を込めてこの庭を突き抜けていたあの頃をアキは思い出す。
とても好きにはなれなかったヤスナの城に、唯一、色が宿るその場所を。
アクトが微笑んで語ったことを。





*





「シシタさん!」

柔らかな日差しを受けとめてきらめく花々の美しさ。
引き立たせているのは他ならぬこのひとで、変わりゆくモルトカの街や城で、変わらないものを守り続けている。

「アキちゃんじゃないか!久しぶりだねぇ…、元気にしてたかい?」
「はい! シシタさんもお元気そうで!」

葉先の影がゆらゆらと揺れては、笑いさざめくようにやさしい音を立てた。
あの頃と変わらぬ笑みを浮かべたシシタは、よく来たねとうなづいてくれた。

「アクトさんが、連れてきてくれたんです。」
「へぇ…アクトが? ふふふ…」
「?」
「いやいや、アクトも成長したものだなと思っただけさ。」

とてもうれしそうな顔で笑うものだから、ついアキも一緒に笑ってしまう。
シシタはそうさせるひとだった。

アキはアクトからよくシシタの話を聞いた。
アクトはひとを斜めから見るひねくれたところがあったのだけれど、シシタの話をするときは別だった。
少し気恥ずかしそうにそらされるアクトの顔。
とても珍しいそれが見たくて、アキは何度もシシタの話をせがんだことがある。
その度にしかたないといって話すその顔が、アクトにとって特別なひとなのだと物語っていた。
いつも気を張ったようなアクトが、不器用にやさしさと子供らしさをのぞかせる。
シシタは、アキにとっても特別になった。



シシタに勧められて座った椅子は、手入れの行き届いた庭園を眺めるには最高の場所で。
アキはきょろきょろと見渡しながら、なつかしいな、とつぶやいた。
その横顔を見つめて、シシタは心を決めた。

「ねぇ、アキちゃん。」
「はい?」
「私がこんなことを言っては、アクトが怒るかもしれないけれど。話しておきたいことがあるんだ。」
「…はい。」

シシタは微笑んでいたけれど、とても真剣な目をしていたから。
アキは頷いて、シシタに向き直った。

「アクトの小さい頃の話は知っているね?
私がアクトと出会ったのは、もう少し経っての事だったけれど、昔はとても荒れていて、手のつけようがなかったよ。
信じられるのは自分自身と、剣だけで。他は何もいらない。……そんな子だった。」

シシタはアキから視線を外し、遠くを見つめるように庭園を眺めた。
まるでそこに、面影があるように。

「まだ子供だったのに…、虚勢を張って強がっているのが、私はとても見ていられなくてね…。
声をかけたよ。 最初は無視をされたし目すら合わせてもくれなかった…。
でも、諦めずに勝手に話し続けていたら、少しずつ少しずつ、自分の事を話してくれるようになった。
……ふふふ、なつかしいよ。
ちょっとずつ、怒ったり笑ったりするようになって…。とてもうれしかった。」

アクトが初めて笑った日を、シシタは今でも覚えている。
すべての感情を抑え込むように、自分に言い聞かせるように無理やりに刻み込んだ眉間の皺を、 無理やり引き延ばして、ふたりで力比べでもするようにもみ合いながら、この庭園に倒れこんだ。
ついにはふたりで草と土まみれになって。
怒ったようにつりあげたアクトの瞳が、どろまみれになったシシタを見て、ふいにゆるんだあの感動を。

「でも、私が力になってやれることは本当に少なくてね。
あの歳になっても、アクトには家族も、兄弟も、友達もいなくて。ずっと独りだった。
さみしそうな肩を倒れないように支えてやることが、精一杯だった。」

剣さえあればいいなんて言って。アクトが剣に打ち込む姿を見つめているしかできなかった。
歯がゆくて。なにもしてやれない自分に悔しさが立ち込めた。
強がるアクトは自分の弱さを見つけては死に物狂いで克服して。だんだんと強さを身に付けた。
その強さで、決してひとりでは御しきれない弱さを、隠すようになった。
ときおりひどくもがいては、苦しむ背を撫ぜてやることしか。

「でもある日ね、アクトがやってきて、なんだかいらいらするんだ、なんて言ったんだ。
何事かと思ったよ。」

その頃にはもうアクトは随分いろいろと諦めてしまっていて。
アクトの心を揺さぶるものは、己の強さへの探求心と、復讐と。たったそれだけだった。
シシタの言葉も、もうアクトには届かないのではと思うほどに。

「話を聞いてみたら、話しているうちにアクトの顔がまただんだんと歪んできてね。
怒っているくせに、なんだか嬉しそうで、出会ったころを思い出したよ。
そのいらいらの原因、アクトに言わせればその元凶が、アキちゃんだったんだ。」
「元凶…」
「はははは!責めないでやってくれよ? あの頃は、それが何だか全然わかっていなかったんだ。」

シシタはほんの少しぷくりと頬が膨らんだアキをなだめた。
とてもかわいいひと。
こんなひとだったから、アクトは。

「結果こうなっているんだから、あの頃の勘はあながちはずれじゃなかったね。」

あれからしばらく。アクトが訪れる回数が増えた。
来るたびに、なんで、どうして、と苛立つような仕草すら、シシタは本当にうれしかった。
アクト自身が作り上げた頑なに結ばれた心が、すこしずつ解されてゆく様をみられるなんて。
感謝しても、しきれない。

「アキちゃん。」
「はい。」
「アクトを、頼んだよ。」
「……っはい。」
「あの子は不器用で、アキちゃんを傷つけることがあるだろうけど。…きっとアキちゃんなら見つけられるね。」

アクトの本心を。
ほんとうの、きもちを。

「きっと大事にする。誰よりも。 …そう思うよ。」
「……はい…。」
「ふふふ…泣かないで。私がアクトに怒られてしまうよ。」

ぽたぽたと膝に落ちてゆく涙を、それでもうれしく思う。
アクトがこんなに大切にして、そんなアクトをこんなに想ってくれるひとがいることを。
それはアキも同じだった。

「ア、…アクトさんは、」
「うん?」
「アクト、は、とても優しいんです…、とても…。
そ!そりゃ…結構キツい時もあるけど、でも…。やっぱり優しいんです。
今日やっとわかりました…。きっと、シシタさんがいたから、なんですね…。」

幼い時振り払われた手。
クラトを殺す事だけを望んで生きてきたと言っていた。
けれど、本当にそうだとすればあんなアクトのはずがない。
ときおり見せるアクトの想いが、なぜあんなにやさしさにあふれていたのか。
それは、シシタがいたから。ずっと、アクトの傍には、シシタがいたからだ。

「わたし…わたしっ…、アクトが好きです…」
「うん。……うん。」

差し出したハンカチに涙がしみ込んで。
シシタはアクトにしたように、アキの背を撫ぜた。

「ふふ…この話、アクトには内緒だよ?」
「わ、わたしだって内緒ですからね!?」
「うん。約束だ。」
「約束、です。」

そうしてアキとシシタは、ふたりで笑い合った。





*





「アキ?なんか顔変だぞ…おまえ」
「へ、変って何!? 何でもないよ!」
「…………。あやしいな…。」
「な、何でもないって!!」

さ、ほら行こう!とこれ以上詮索される前にアキはアクトを引きずって歩きだした。
シシタと話してからだいぶ時間は経っているが、目もとの腫れが引ききっていないことは分かる。
アキは怪訝そうにしかめられた眉は見ないようにした。ばれてしまう。

「なぁアキ、シシタのおっさんと何話してたんだ?」
「え……? あ…あー…」
「?」
「…ひみつ!」
「なんだそりゃ…?」
「ひみつなの!私にだってひみつくらいあるの!」

シシタのところに預けたのだから当然何か話をしたのかと聞いただけなのに、 前をずんずんと音がしそうなほど勢いよく進むアキを奇妙に思ってアクトはアキの腕を引いた。

「何だ、おまえ…目が腫れて…?」
「な!」
「シシタに何か言われたのか?」
「ちちちがう!」
「じゃーなんだよ。」
「っ何でもないの!」

あのシシタがアキを傷つけるとは思えないが一応聞いてみると、 問い詰めるうちにアキの顔はどんどん真っ赤になって、まったくの思い過ごしだったことは分かった。

「何だよ…気になるだろ…」
「いいの。ひみつ!」
「話せよ、なーアキ。」
「いつかね!」
「いつだよ。」
「いつかっていったらいつかなのーー!!」

きゃんきゃんと怒鳴り合って歩くふたりのかげを、シシタも庭園の草花も笑って見送った。










≪きみが何を変えてくれたのか知っている?≫


←BACK