二人を繋ぐ糸のかたち







うまく言葉にならないことは今まで幾度もあった。
まだまだ子供である自分では、いくらつま先立ちで背伸びをして大人ぶってみたって結局、 受け入れられるものごとの範疇も、考えが及ぶ先も、言葉にできる数も、今の自分を表したようにすべてがどこか中途半端なのだ。

カヤナと出会って、人と心から向き合う難しさを痛感した。
祖父は血はつながってはいないけれど、やはり育ててくれた親であり、アキを見限ったり突き放すことはないのだ。
どんなに言い合っても、家族という言葉が祖父とアキを繋いでいるからこその安心感がそこにはあった。

けれどカヤナはつい最近出会ったばかりの真っ赤な他人だった。
二千年前の神様ということを差し引いても、他人の同い年の女性だった。
否応なしに付き合うことになって、衝突し、なじり合い、喧嘩をして、もういやだと何度も思った。
けれど身体を共有し、多くのものを同じ視点で見るうちに、カヤナはアキにとって特別な存在になった。

何でも言い合える友達。
決してカヤナはアキを裏切らない。
どれだけ罵り合ったって、たとえ身体を離れたって、アキとカヤナは友達だった。
アキも、カヤナを裏切らない。決して。
だって不器用なあの女の子が大好きなのだから。
家族ではない。
だから、二人を繋ぐ糸は、固い友情で結ぶのだ。





*





友達とは違い、恋人、というのはとても不安定だとアキは思った。
友達も恋人も、人によって価値や重みや優先度が違うのだけれど、どこか友達よりも不安定で、 ともすれば知らぬ間に消え去ってしまいそうな、そんな危うさを感じるのは、相手がアクトだからだろうか。
信じることに決めたとはいえ、信頼関係が出来あがっているかと言えば、そうでもない気がする。
そんなことを口にすればアクトは烈火のごとく怒り狂うかもしれない。
以前のアキならそう思っただろう。
今は、アクトは確かに怒るかもしれないが、きっと傷ついてしまうと思う。

「……、アクトさん。」
「アクト。」

う、とアキはうめいた。拘束された身体がピシリと固まる。
アキはヤスナに連れてこられ、数々の危機と困難にぶつかって、 それどころではなく本当に命の危険すら何度も感じたけれど、これは別の意味で危ない気持ちになった。

アクトは直属親衛隊の中では細身の部類なのだけれど、アキの後ろからまわされた腕の力はとんでもなく強い。
アキの身体の前で組まれた手を、うぎぎ、と押しやろうと奮闘しても、微かな苦笑が耳元で漏れるだけで、 鍛冶場で鍛えたアキの腕力も、アクトにはまったく効いていない。

「観念しろって」

アキは少し泣きたい気分になった。
とにかくアクトは強引なのである。
自分の思い通りにならないのは気に入らないという自分勝手なところがあって、アキはそれに何度も悩まされたけれど、 なんかそういうところも結構好きかもなんて思った自分が馬鹿だったのだ。

アクトはだんだんとアキの弱点を見抜いていく。

「なぁ、アキ…」

うああ、と変な声が漏れて、もう叫んで逃げ出したい。けれどどうしても腕が振り解けない。逃げ場がない。

「アクトさん!そこでしゃべるのやめて!!」
「お前が言ったら離してやるよ。」
「ううう…。」

アクトはとんでもなく楽しそうだ。
けれどアクトが少しずつアキについて詳しくなるように、アキだってアクトの事を知りつつあるのだ。
その楽しそうな笑い声の裏に、さみしさがこもっているのが分かるなんて、恋人にならなければ鈍感に知らないふりが出来たかもしれない。

事の発端はあの日の帰り道。
本当に色々なことがあったけれど、やっと二人の気持ちを結ぶことができた日。
その帰り道、モルトカの街で、アクトはアキにちょっとした願いを口にしたのだけれど、アキは思いっきり突っぱねた。
だってその願いは、アクトって呼んでみろよ、だったのだ。
アクトって呼んでみろよ、だなんて無理、絶対無理!そんないきなり!心の準備が足りない!
とてもじゃないけど呼べなくて断ったら、アクトは笑ったけれど、その声はいつもの声じゃなくて。
その音に、恥ずかしくて見れなかった顔を戻したらアクトの眉間はひそめられていたけれど、むっとしたように見せかけただけでそれはわざとだとすぐ分かった。
アキはアクトを傷つけてしまったのだ。

そんな経緯があるから、アキはアクトを突っぱねられなくなってしまった。
面と向かってなんて恥ずかしくて無理なの、と渾身の力でお願いしたら、じゃあ顔は見ないとか訳のわからないことを言われ、なぜかとらわれてしまって。
せめて、せめて、腕の中からだけでも逃げ出したかったけれど、それもかなわず。
結局アキはアクトに捕まえられたままだ。

ああ、本当にどうしよう。
悩めば悩むほど時は過ぎて。

「…、アキ、そんなに嫌か…?」
「ちがっ…!嫌とか、そういうわけじゃなくって!」

自己中心・自信過剰、だいたいはそんな態度のアクトの声に影が混じったのを敏感に感じ取って、アキは焦った。

「簡単だろ? あ く と。 これだけだ。」

簡単じゃない、と心でつぶやいたアキの沈黙を、アクトも敏感に感じ取って、不穏な空気が流れる。
わかり合うというのも、なかなか不便なもので。以心伝心の良さは時と場合による。

「……もういい。」

アクトの引きの良さはとんでもなくはやく、そして残酷だ。
もういらない、と言わんばかりに、さっと身を引く。アクトの自室での出来事の後も、そうだった。

「ちょ…!ちょっと待ってアクトさん!!」
「もういい。」

それはアキが引き止めようと何をしようと、決して覆ることはない。
あれだけ力強かった腕もさっと離れて、アキが振り向いたときにはアクトはもう扉に手をかけていた。
とっさに駆けて服の袖をつかんだけれど、アクトは振り返ることなくそれを外し、モルトカの街に消えていった。





*





翌日のまだソルも登りきらない早朝、アキは監視部屋の前に立っていた。
昨日はほんの少ししか眠ることができず、ずっと街を眺めていて、アキの目の下には隈が出来てしまった。
抱き締められた腕の中、背中がとても暖かかったのに、突き放された途端とんでもなく寒くて、冷たくて。
アキは窓の外を眺めて何度も身震いをした。
ずっと家の外を眺めていたアキがほんの少し目を閉じたその間を見計らったように、 次に目を開けたアキの視界に先ほどまで真っ暗だった監視部屋に明かりがともった様子が見えた。
アクトの姿を確認できなかったこともそうだが、こちらに戻るつもりはないらしいアクトに、アキの心は沈んでいったのだった。

アキは深呼吸をして、朝の空気で冷え切っているドアノブをそっと回した。
カスガの依頼で作り直したそれは音を立てることもなく、アキの心持ちを汲み取ってくれた。
そもそもノックをする勇気はない。だって無視されたら、この勇気がしぼんでしまう。

部屋に足を踏み入れて、音を立てずに扉を閉めることに成功した。
目を覚ましていないか遠目で見たが、銀糸の髪が見えただけで、よくわからない。
大丈夫、と自分に言い聞かせて、そろりそろり、とアキは床を確かめるように歩いた。



なんだかとてもいけないことをしている気持ちになったが、もう今さらここから戻れる気がしない。
ベッドの隣にやっと辿りついて、アキはばくばくとせわしない心臓をもてあます。
震える手に、がんばれ、と思いながらそっとアクトを覆う布に触れたら、手を引っ込める間もなく、飛び起きたアクトに掴まれた。
その片手には彼の剣が握られていて、何やら間違われた様子だった。

「な、…アキ? おまえ…、何して…?」

とても今まで寝ていたとは思えないほど紫色の瞳はぱっちりと空いて、次いで呆れたように馬鹿じゃないのか、と言われてアキは苦笑いしかできなかった。
奇妙な顔をしたままじっとアキを見つめる瞳にものすごい緊張が走ったが、昨日なんども練習したことを反復するように、アキは息を吸った。

「お!…、おはよう!アクト!朝だよ!昨日はごめんね!」

とても声が裏返っていたし、昨日のように落ち着いて何でもないことのように装うこともできず、言いたいことがかなり省略されてしまったがもうどうでもいい。
言いたいことは言い終わりました、とアキは逃げをうった。

が、床にどたんと倒れて、したたかに両膝を打ちつけた。
なんで、と振り返れば先ほど掴まれていた手がそのままだったことに、今さら思い当たり、とんでもなく緊張していたことが災いし、その腕を伝ってアクトをみれば肩が震えていた。
微妙な沈黙。

「ぶっ…、あはははは!おまえ本当にばかだな!」
「な!なによ!! ア、アクト…!さん!、が!」

だって。昨日。あんな。しょうがないじゃない。緊張して。

説明しきれない単語がぽつぽつとこぼれて、真っ赤な顔から火が出そうだ。
力が抜けて床に座りこんだアキはアクトにさらわれ、ベッドに座ったら、赤くなった膝を撫ぜられた。

「あー…もう。なぁアキ、もう一回言えよ。」
「え…」
「おもしろすぎて、吹っ飛んだから。もう一度。」
「えぇー…」
「ちゃんと、聞きたい…。」

こつり、と額が合わさって、睫毛が触れそうなくらい。
やわらかく微笑んだ口元が、アキの名前を呼ぶ。

「……、アクト…」

昨日言えなかったこと。きっと傷つけたけれど。
ゆったりとまばたく紫の瞳が、優しく許してくれた。





カヤナともそうであったように、アクトともきっとこれから何度もぶつかりあうことだろう。
そうして互いを知って、前よりもっと近づくのだ。
もう誰より特別な存在だから、きっとお互いがあきらめなければ大丈夫。
恋人という不安定な形から少しずつ変わっていく。
その先で、このひとはいつか家族になるのだ、とアキは思った。










≪二人を繋ぐ糸のかたち≫


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