笑顔以外の居場所も守るから







怒りで指先がふるえるのは、アクトにとってよくあることだった。
それはいつもクラトに関することで、思い出し、夢に見て、古傷がうずき、決意を新たにするそのたびに、 思い描くクラトの面影を心に焼き付けては、収まりきらない怒りがアクトの拳を震わせる。
そして近頃回数が増してきたのはきっと、タカハマラの地でクラトと相見えたから。
どれほど憎んでいようとも、時の流れは残酷に、アクトのなによりも中心にあるクラトの顔つきをぼやかし、 声を鈍らせ、背丈も、重みも、小さな手の感触の記憶も削り取っていく。
これでは己の憎しみさえ、いつか消え失せてしまうのではないかという恐れにも似た想いがあった。

けれど、あの日相対したクラトによって、記憶は塗り替えられたのだ。
怒りが、憎しみが、向かっていくその先が、はっきりと明確に浮かび上がった。
この男が己の憎しみの根源。この男を殺すのだと。

そしてヤスナの地で、アクトは待ち望んでいた再会を果たした。
クラトは目の前にいる。
アクトの鍛え上げた剣が届く、その場所に。





*





怒りで指先がふるえるのは、アクトにとってよくあることだった。
それはいつもクラトに関することだったのだけれど、近頃そこに、アクトの心を勝手に乱すアキが加わってきた。
クラトはあろうことかアキの家に居座り、堂々と茶などすすっていたりするのだ。
アキはといえば、それを微笑んで眺めている。

それを見るたびに、アクトの指先はぴりぴりと痺れた。
渦巻く暗い影が胸に重たいものを投下して、ずっしりと身体が重くなる。
湧いて出たような奴が、己の立場もわきまえず、アキと笑い合っている。
吐き出すため息にすら重力が加わったように重たくて、苦しくて、アクトは立ちあがった。

「アクトさん?」
「少し出てくる。」
「え? え、どこに…」

クラトと楽しそうに話していたアキが振り返ったけれど、アクトは足を止める気にはならなかった。
戸惑ったようなアキの声が階段を下りるアクトを追いかけて降りてきたが、鍛冶場の橙色の光をすり抜けて、アクトは力任せに扉をあけて外へ出た。

夜のモルトカの街は明るい。
街灯の数も多く、まだ店が閉まっていないため、微かの薄暗さの中を人も十分に行きかっている。
アクトはその流れに紛れてしまいたいのだけれど、監視の任務がアクトをアキの家の前に留まらせる。
もうそんな自分も、階段を下りてきたくせに追いかけてこないアキも、アキをさらおうとするクラトも、 なんだか全てが嫌になってきて、アクトはアキの家が見える階段に沈みこんだ。

「なにやってんだか…。」

立てた膝に頭を落として瞳を閉じたら、さっそく後悔が始まるのだ。
カヤナがいるとはいえ、クラトとアキを一緒にしたまま置いてくるなんて、どうぞお好きにしてくださいと言っているようなものだ。
うつむいたアクトには人々が行きかう靴音だけしか聞こえないはずなのだけれど、その中にアキの笑い声が混じっている気がして。 こんなところでひとりぽつんと暗闇に沈んでいる自分が、あわれに思えて、ああ、あの火事の日からちっとも進んでいないのだなと思う。

けれどさみしいなどと、口が裂けても言えない。

びりびりと痺れる指先が痛くて、まだ立ち直れなくてうつむいたままのアクトに、ぎしぎしと扉の開く音が聞こえた。
軽い靴音と、聞きなれたその速度がアクトに近づくたびに、気遣いと恐れを含んだようにゆるやかになって、アクトはそれすら腹立たしいと思った。

「来るな。さっさと戻れよ。」
「…アクトさん、どうしたんですか…?」

心を図るような気遣う声と、理解されない想いに、いらだちがつのる。
もう早く立ち去って。
口調をいつもどおりに装うことさえ、辛いのに。

「何でもないから、早く戻れ。」
「でも、」
「いいから戻れって言ってるだろ!迷惑なんだよ!!」

駆け抜けるような怒号が自分の口から勝手に飛び出て、睨みつけるように見たアキが、その視線と怒りの強さに肩を震わせたのをみた。
アキの表情にはさっと影が落ちて、形の良い眉が何かを耐えるように寄せられたのを見ていられず、アクトはうつむいた。

ああ、またやってしまった。

本当に言いたいことはこんなことじゃなくて。伝えたいこともこんな言葉じゃなくて。
もっとうまくやれたらいいのに、どうしてこんなに難しいのだろう。
怒鳴るつもりじゃなかったなんて言ってもいまさらで、きっとアキはもう泣いている。
それを止めてやれる手段をアクトはいつも持っていなくて、いつも泣かせたままの後悔と、素直になれない自分に落ち込む。

もう無理かもしれないと何度も思った。
今もそう思っているのに、どうしてあきらめきれない。

石畳の床を擦るようにアキの靴音が聞こえて、立ち去ろうとしているのだと思った。
あきらめと、かなしみと、後悔と、引きとめたい気持ちは言葉にできず、ただ奥歯をかみしめたアクトの耳には 次に扉が閉まる音が聞こえると思ったのに、いったいなぜアキはこちらへ歩いてくるのか。
あんな風にきつく言ったのに、それでも隣に腰掛けたアキが信じられなくて、アクトは茫然とアキの横顔をみた。

「何してるんだよ…、戻れって、言っただろ…。」

つぶやくように口にした言葉に答えは返らず、アキはアクトをみることなく、ただ前を見据えていて、 けれどいつもと違うのはアキは泣いてはいなくて、耐えるように口をぎゅっと引き結んでいたこと。
もうアクトの耳には喧騒は聞こえておらず、ただぴんと張り詰めた沈黙の意味を図りかねて、 橙色の街灯に照らされたアキを見つめるだけだったけれど、やっと口を開いたアキは想像していたより落ち着いた声でアクトに言った。

「言ってください。いつも、みたいに。」

その言葉の意図がつかめず、アクトは考え込む。
いつもみたいに?

じっと考えてやっと思い至ったことに、アクトは自分の顔が歪んだのを感じた。
滲みそうな涙は見せられなくて、アクトはやっぱりうつむくしかない。

「……、悪かっ、た。言いすぎた…。」
「はい。」

階段に腰掛けたふたりの間に空いた微かなすきまを、アキが詰めた。
見ていなかったアクトは突如触れた肩に驚いたけれど、顔を上げるには早くて、何も言えずじっと座っていた。

夜風にさらされて冷えたアクトの肩には、じわりじわりとぬくもりがうつって。
アクトはどうやってもあきらめられなかった訳を知った。

憎しみにばかりとらわれて、全てをそれに捧げてきた自分がやっと見つけたのだ。
憎しみでは埋めきることができない。
ひとり、寒さや孤独に震える肩を、あたためてくれるひとを。やっと。

手放せるわけがない。
あきらめられるわけがない。
誰にもゆずれるはずがない。

そっと顔をあげたアクトにアキは微笑んでくれた。
はじめて、このひとを守りたいと思った。










≪笑顔以外の居場所も守るから≫
お互い様。


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